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芋と麦のこと

奇跡的に二日連続で更新しているボンビー嫁です。

三日坊主にならないようにぼちぼち頑張ります(*^^*)

タイトルの芋と麦ですが…

焼酎ではありません(ちなみに私は芋水割り派です)。

私が移住した新上五島を語る上で欠かせない食文化です。

五島列島には、カトリック禁教時代に本土から多くのカトリック信者たちが信仰の場を求めて移り住み、潜伏して、親子何代にもわたって信仰を受け継いだという歴史があります。

人目につかないように移り住んだ信者たちは、山の斜面を開拓し、家屋や段々畑を作りました。荒地でも育つサツマイモと麦を育てて、命と信仰をつないできました。ほんの数十年前まで、この島の主食はサツマイモだったといいます。

秋から冬にかけて収穫するサツマイモは、寒さにとても弱い食物です。

収穫後は気温の下がらない軒下の貯蔵庫や倉庫に入れて保管します。

それでも、冬を越すのは難しく、多くのサツマイモが傷んでしまいます。

そこで先人たちが編み出したのが、「かんころ」という保存方法でした。

「かんころ」とは、皮をむいたサツマイモを薄くスライスし、さっと茹でて寒風に吹きさらし、4〜5日ほど乾燥させて作る干し芋のことです。食べる際に水で戻し、蒸して餅と一緒について作ったのが「かんころ餅」です。今では土産の定番ですが、当時は米やもち米のかさを増すために用いられており、砂糖は入っておらず全く甘くはなかったはずですが、それでも大変なご馳走だったといいます。

秋の終わりにサツマイモを収穫し、そのあとに植えたのが麦でした。

今では荒れ果て、木が生い茂っている石垣の段々畑ですが、かつては麦が収穫期を迎える初夏の頃に黄金色の風景が広がっていたそうです。

今では、小麦を栽培している農家はほんのわずかで市場に出回らないし、サツマイモ農家も高齢化によってどんどん減ってきています。かんころを作る人も、かんころ餅をつく家庭も、年々減っています。

そんな状況にほんの少しでも歯止めをかけたいと、私と相棒さっぴぃは、今年も小麦の種をまき、さつま芋畑もさらに広げようと思っています。

正直、利益にはほとんどつながりません。

それでも、芋や小麦を育て、加工品を作ることで、この島のことを知ってもらえるきっかけになるかもしれないと思って全力でやっています。島の人たちが培ってきた技術を、下手でもいいから習って、私たちの次の世代にもつなげていけたらいいなと思います。

小麦作りも今年で2年目なのに、まいた種をほとんど鳥たちに食べられてしまって、少し寂しいムギ畑になりそうですが、失敗を繰り返して、収量を上げていって、いつか地場産小麦のうどんやふくれまんじゅうを特産品にできたらいいなと思っています。密かな、でも絶対に叶えたい夢です。

芋と麦。

4月から本格的に稼働する「2代目花野果」の活動を支える重要な作物です。

かつては人々の命と信仰をつないだこの作物ですが、

この先きっと、島の未来の鍵を握る大切な作物になると思います。

今年もたくさんの小麦とサツマイモに恵まれますように。


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