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小値賀島と野崎島②


 旧野首教会は、山と海に囲まれている。濃緑とスカイブルー、その中にぽつんと重厚な赤いレンガ造りの教会堂が建っている。とても静か。よく目を凝らしてみると、教会堂のすぐ近くで、シカの群れが草を食んでいた。一生懸命想像力を動員して、わずか数十年前のこの地をイメージしてみるけど、何世帯もの人々の営みがここにあったという像が浮かんでこない。それほど教会の周辺は小ざっぱりとしていて、何もなくて、静かで、さびしかった。

 「近代化が進むまでは、この島だけでも自給自足で生きていけたんです」とガイドの歌野さんが切り出した。近代化になって人々が豊かになり、島でもお金がないと生活できない社会になった。現金収入を得るために島民が出稼ぎに行き、やがて家族で島を離れることになった。1世帯、また1世帯と減っていって、2001年には当時最後の住民であり島を守り続けてきた沖ノ神島神社宮司が村を離れ、人の営みの灯が消えた。現在は、簡易宿泊施設・休憩施設「野崎島自然学塾村」の管理者以外、ほぼ無人の島となっている。

 ガイドの歌野さんとブレットが、集落跡が残る野崎地区を案内してくれた。朽ちた家々の多くは、甕や風呂、炊事場を残して自然に還ろうとしていた。「壁は土や藁で作られていて、骨組みは木材。野崎の人たちは、自分たちの手で、島にあるもので家を作っていたんですよ」。

 島にあるもの、自分たちで作れるもので生活していた野崎島の人々の暮らしは、近代化の流れからは後れを取った古いものだったのかもしれないが、大量消費も汚染もない、地球に優しくてたくましい生活は、一周回って最先端の生き方だと感じた。

 豊かさってなんだろう。お金を出せばなんでも手に入ることなんだろうか。贅沢な暮らしができることなんだろうか。私たちはどこを目指しているのか。そんなことを考えながら、野崎島を後にした。(つづく)


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