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4〜6月を振り返る①五島の日マルシェ編

本当にずいぶんとご無沙汰しています。ボンビー夫婦の嫁の方です\(^o^)/ そういえば、このブログを更新していない間に、「幸せボンビーガール」で新上五島町の若者夫婦が紹介されてリアルボンビー夫婦になっていたので、このままボンビー夫婦と名乗っていいのか、少し葛藤しています。が、今から変えるのもな〜という思いがあるのと、話題に乗っかっちゃえ!という下心もあり、このままボンビー夫婦を名乗り続けたいと思います!

長い間、ブログを更新できていませんでした。 イベントがあったり、起業に向けた補助金の申請があったり、物件探しが難航したり、新たな決断があったり、本当にいろんなことがありました。日々いろんなことがありすぎて、更新しやすいFacebookでの情報発信が増え、このサイトに来る機会がめっきり減ってしまったのでした。

でも、先日私が勤務している新上五島町有川支所で、職員の方に呼び止められて「竹内さんのブログが大好きなんです!」という有り難すぎるお言葉をいただき、また楽しみにしていますねと言ってくださったので、これは更新しないわけにはいかない!と決意したわけであります。

でも3ヶ月くらい更新していなかったので、少しずつ撮りためた写真を紐解きながら、これまでの出来事を振り返ってみたいと思います。シリーズになる予定ですので、お付き合いいただけると幸いですm(_ _)m ******* まず取り上げたいのは、コツコツと準備から関わってきた4/30(日)開催のイベント「五島の日マルシェ」です。あれから2ヶ月が経っていますが、美しい緑に包まれたにぎやかで笑顔いっぱいの空間が、今でも鮮明に思い出されます。

私はこのイベントに、運営スタッフ兼出店者として参加しました。 主催者の商工会青年部の方から、地域おこし協力隊に「会場をマルシェっぽくデザインしてほしい」というオーダーがあり、マルシェ会場にはためくガーランドや大きな看板を製作しました。

絵を描いてくれたのは、友人のマゴちゃん! 上五島らしさがぎゅっと詰まった、素敵な看板になりました。

出店者にもなったのは、一言でいえば運命!だったのかもしれません。当時は、出会いが重なって、「将来を見据えて出てみようか!」というくらいの軽い気持ちでしたが、このマルシェでの出店をきっかけに、人生をかけて挑戦してみたいことに、私は出会うことになります。

以前、このブログでも紹介したのですが、私は「上五島産の小麦で五島うどんを作りたい!」という思いから、小麦を栽培する「ムギ部」という集まりを立ち上げました。

(詳しい活動内容は、ムギ部のブログ→http://mugibu510.blog.jp/をご参照ください!)

小麦の保管や加工は、自宅では不可能です。そこで、今年の1月ごろから、大きな冷蔵庫や加工所のある施設を探し始めました。そこで候補に上がったのが、かんころ餅や干し芋など、上五島の食材を使って昔ながらのお菓子をたった2人で生産している小串郷の「花野果(はなやか、と読みます)農産加工センター」でした。

(実は、このブログでも以前紹介しています→http://sanaem0928.wixsite.com/izyu-kamigoto/single-post/2017/02/25/%E8%8A%B1%E9%87%8E%E6%9E%9C%E3%81%95%E3%82%93)

初めて花野果さんを訪れた日のことは、今でもよく覚えています。

1月の下旬ごろでした。まずは、自分で育てた「かんころ」でかんころ餅を作ってほしいというお願いをしてから、本題を切り出しました。

「自分で育てている小麦を加工してお菓子を作ってみたいんです!」

代表の山添さんは、目を輝かせてこう言いました。

「小麦を使った加工品をこしらえるのはよか。その代わり、この花野果を継いで、かんころ餅ば作ってくれんかね」

私が、かんころ餅?!

もちろん、すぐに回答はできませんとお答えしました。

それでも花野果さんの2人は「ずっと後継者ば探しとったと。前向きに考えてほしい」と言ってくださいました。

即答できなかった理由はたくさんありました。

まず、地域おこし協力隊の任期後には、上五島の暮らしを体感してもらえる宿をやりたいという思いがあったということ。花野果さんとの両立ができるか、どちらも中途半端にならないか、などなど、不確定要素が多すぎました。

また、私はもともと五島手延べうどんの技術を継承しようと思ってうどんの修行をしていました。だけど、島内にはたくさんのうどん業者さんがおり、そこで新規で入って生計を立てるというのはとても困難だということも分かってきて、断念しました。私は器用な方では決してなく、ものづくりには元来向いていません。それなのに、またものづくりに挑戦するのか。また途中で挫折するのでは…。そんな不安がありました。

もっとも大きな理由は、私一人ではどうしようもできないということでした。一人で、しかも宿もやろうと思っているのに、花野果さんの事業を受け継ぐことは不可能だと思いました。

でも、私がすぐに断らなかったのにも理由がありました。

かんころ餅は、事業としても、この島を活性化する素材としても、大きな可能性があると思ったからでした。

かんころ餅は、土産品としてとても人気があります。でも、島内で生産しているのは数業者のみ。よそもんの視点を取り入れれば、新たな需要が見込まれるのではないかと感じていました。

また上五島では、高齢化や鳥獣被害の拡大から、サツマイモの生産量がどんどん減り、耕作放棄地が増えているという課題がありました。かんころ餅の材料となるサツマイモを茹でて干した「かんころ」の生産も減少。冬になれば干し台にかんころが並び、庭先の大きな釜で芋をゆがく文化が失われるのではないか、という危機感もありました。この島の文化を次世代に伝えていくためにも、島で生きていくためにも、花野果さんを継承してかんころ餅を作るというプロジェクトは、とても魅力的だと感じたのでした。

そんなとき、本当に偶然、この花野果さんの後継ぎに興味を持ってくれる友人が現れました。岡本幸代さんという、わたしよりも2つ年上で(と言っても、年齢差を感じたことがないくらい若くて人懐っこい人です)、移住者の先輩でした。みんなからさっぴぃと呼ばれているこの陽気な女性は当時、家業の農業に専念するため、地元のスーパーを退職したばかりでした。そんな時にムギ部の活動に参加してくれ、仲良くなり、ふとした時に花野果さんの後継ぎの話を持ち出したところ、ものすごく興味を持って前向きに考えてくれたのでした。収益の上げ方や新商品の開発について、SNSを使って何度も意見を交わしました。「五島の日マルシェ」の開催が決まり、地域おこし協力隊に出店のオファーがあったのは、まさにそんな時でした。

後継ぎを考えるためにも、まずは作業風景を見てみたいと、かんころ餅作りのお手伝いをさせていただきました。この写真はその日、花野果さんの作業場に向かう途中の上小串から見た朝焼けです。

かんころ餅作りはものすごくハードでしたが、さっぴぃと一緒に参加していたので心強かったし、何より笑いのツボが同じで必死に作業しながらもずっと笑ってて、この人とならずっと一緒に作業をしていたい!と思ったほどでした。

「島には買いたい!と思うようなオシャレなお土産がない」「手土産にしやすい商品がない」というのが私とさっぴぃの共通意見でした。なので、花野果さんを引き継ぐなら、新商品の開発は絶対にしたいと思っていました。その試作品の反応を見る場として、五島の日マルシェに出店してみよう!ということになりました。

出店者名は、「さなえ&さっぴぃ」。名付け親は岡本さん。うさん臭すぎるし、お笑いコンビかいって感じですが、この名称、今ではかなり気に入ってます。

4月30日(日)の本番に、私たちが出品したのは

・花野果さんの焼き干し芋(干し芋を焼いたもの) ・甘夏チョコレート(上五島産の甘夏を丸ごと使ったオリジナルチョコ!花野果さんに協力していただいて、試行錯誤を繰り返しながら作りました)

・長崎県産小麦を使ったムギ部の手製うどん

どれも大好評で、みごと完売しました!!(うどんも後日完売しました!!)

五島の日マルシェでの「さなえ&さっぴぃ」のブースです。 会場にはたくさんのお客さんが来てくださって、なんだかみんな楽しそうで、土俵を使ったステージも盛り上がって、ポニーや上五島高校茶道部も参戦してくださって、本当に素敵な空間でした。私たちのブースにもたくさんのお客様が来てくださり、知り合いもそうじゃない人も、みんなとコミュニケーションが取れて、とにかく楽しかったのです。暑かったし、風も強かったけど。NHKの取材もしながらやったけど。打ち上げで飲んだノンアルビールの美味しさは、史上最高でした。

この五島の日マルシェを体験して、たくさんのお客様とつながれて、私もさっぴぃも、花野果さんを受け継ごうと腹をくくったのでした。

長々と書いてしまいましたが、4~6月にかけて最も印象に残っている体験だったので、熱く濃く書いてしまいました。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

さなえ&さっぴぃの奮闘記はまだまだ続きます。まだ今も絶賛奮闘中です。 これから末永く、温かく見守っていただけると幸いです。

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