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新聞記者からの逃亡①

 「どげんしてこの島に来たの?!」

 新上五島町の地域おこし協力隊として働き始めて1ヶ月。島の人たちに自己紹介をすると、必ずこう聞かれます。「この島の自然や歴史、 営みに魅かれたから」。そう答えています。この島を選んだ偽りのない気持ち。でも、この島を選ぶまでに、いろんな決断がありました。上五島へ移住を決めるまでのことを、少しずつ書いていきたいと思います。

 私が高校時代からの夢だった新聞社に入ったのは2007年4月。福井で駆け出し時代を過ごし、2011年3月に埼玉県の北部・羽生通信部に赴任した直後に東日本大震災が発生した。私の担当するエリアでは大規模な液状化被害があり、さらには福島第一原発事故で町全体が避難区域となった福島県双葉町の人たちが役場ごと避難してきたのが、私が担当する埼玉県加須市だった。震災直後から、津波や原発事故、液状化により衣食住を奪われた人たちの元に通い続け、声を拾い、理不尽な現状をとにかく書いた。感謝されたことも、非難されたことも同じくらいあった。目の前には、書かなければならないことがたくさんあった。

 震災から約1年半が過ぎた2012年8月、私はさいたま支局の警察、行政担当になった。生活のほぼすべてを費やしていた震災取材から離れることは悔しかったが、当時は、花形の社会部へのステップだと自分に言い聞かせた。他者と特ダネを争ったり、事件の真相に迫ったり、政治の転換点に立ち合ったり、体も心もものすごく辛かったけど、その苦労が独自ネタとして記事となり、新聞に大きく掲載される喜びは大きかった。何より、それが社会部へとつながっていると思っていた。いつか社会部で、また震災報道に携わるために今があるんだと思っていた。

 2014年8月、上司から異動を告げられた。「異動だ」と言われた瞬間、やっと震災報道に戻れるんだと思った。しんどかった日々が報われるんだと思った。

 言い渡されたのは、東京本社の放送芸能部だった。

 写真は、佐世保港から新上五島町の有川港へと向かうフェリーの中の様子。心の中はドキドキとワクワクで、不安なんてないぞというポーズ。

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